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 母は高齢で近所に住んでいる。93にしてはかなり元気な方で介護認定を貰おうと何度か市に依頼したが一人で何でもできるのでダメだった。さすがに歩くときはシルバーカーを押さなければいけないし握力もなくなった。でも、歯は全部自前。元薬剤師だったので薬の知識はまだまだ健在だ。昔はよく怒られていたがいつしか怒られなくなった。背丈も追い抜いて、歩くテンポも次第に遅くなり、親が小さく見える瞬間だ。それでも、そこに居て話を聞いてくれるだけで安心する存在だ。聞いてくれるだけで良いのだが本当によくしゃべる。そして何度も何度も昔あった話をしたりする。「小さい時はいとこの○○ちゃんと遊んだの。」とか「薬専時代はね…」とか。高齢者あるある。昔の話をよくする~。そんな元気な母も歳には勝てず、幾度となく入院もした。ベットに横たわる母は本当に小さく見える。毎日着替えを持って行ったり、必要なものを届けたりすると「待ってました!」と言わんばかりに目を輝かせて出迎えてくれる。15年ほど前の話だが、母がメニエール病と診断され入院した。その時はまだ再婚しておらず、子どもたちも中学生と高校生だった。離婚して母と3人で暮らしていたころの話である。

「さ、明日から手分けして家事をしてね」

普段何も手伝わない子どもたちも「あなたが頼りだよ!」と信頼すると結構やってくれるのだ。仕事から戻ると洗濯物は取り入れて、ご飯は炊けている。後おかずを作ったり、帰りに買ってきた総菜に手を加えたりして夕飯は完璧。朝も私が先に出て後から出る子どもたちは戸締りをして出てくれる。そういうわけで家は完璧だが問題は母だった。入院しいる間に他の検査も…ということで見つかったのが大腸癌だった。もうすぐ退院というときに再び別の病院に転院して、手術することになった。その時は親近者の癌ということでかなり焦った。後にその経験が功を奏し癌宣告されても動じなかったという話へ繋がるのだが、その時は子どもたちもみんなショックだった。おばあちゃんが死んだらどうしよう…という悪いことが頭をよぎり泣いたこともあった。

 母の手術は無事済んだ。お医者様の説明で切り取られた大腸を見て唖然。「これが癌です」と示されたところは1cmほどの小さいできもの。それを囲んで30cm四方を念のため切ったので再発はほぼないでしょう。とのことだった。癌って…こんなもんなんだ…。病室に戻るとベットに座って母が涙目で訴えてきた。

「看護婦さんがね、ほかの患者さんよりお母さんに優しいの。きっと病状が悪いんだわ…。」

「わかったわかった、冷たくしてって言っておくわ」

また別の日には

「先生がわざわざカーテン開けて『大丈夫ですか。』って…。しかも執刀医の先生と別の先生も…。きっとまたなんか悪いものが見つかって退院が延びるんだわ…。」

と言ってしくしく泣きだす始末。きっと入院生活が長引いてストレスが溜まったんだ。とりあえず1回は退院させなきゃ精神的にもたんわい。私はその足で先生に相談しに行った。

「あ~お母さん大丈夫ですよ。いつ退院しますか?」

それから間もなく私の休みを利用して足早に退院したのは言うまでもない。

私がいなかったら何もできなくなってしまった母。本当に小さなガラス人形の様に些細なことで傷ついたり欠けたり壊れたりしちゃうようになったんだな。昔は怖かったのに…。今もこの炎天下の中買い物に行こうとするので、やめてくれ~と言っている。あなたはガラス人形だから動かれると怖いんだよ!






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