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雨の中、本日母と墓参りに行った。墓石の下では父と兄が今か今かと待っていたのだろう。だってお盆は過ぎてご近所さんには綺麗な花が手向けられているのに自分たちの前には…。お待たせしました!少し遅れたお墓参りだが先に手向けられていた近隣の墓石の花は最近の大雨と風で軒並み吹き飛ばされ花筒から落ちている。ちょっと遅れた方が良かったでしょう。という遅刻の言い訳をしながら掃除をして、花を手向けお線香に火をつけた。周囲に線香の香りが漂い厳粛な気持ちになる。

 兄が亡くなってもうすぐ3年。光陰矢の如しである。友だちと会うと病気自慢が増え、どこそこの病院がいいだの、○○の薬が効くだのという話になるのだ。そして泉下の客が増えるのだろう。人生の千秋楽は華々しくなくていい。ひっそりと消え、盆暮れの線香の香りでふと思い出してもらったらいい。涙を流さず、笑いながら思い出してほしい。そしたら私も一緒に笑うから…。そんなことを思いながら父と兄に手を合わせて帰ってきた。





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 全国的に増加し続けるコロナと大雨にあっちもこっちもてんやわんやのお盆だった。私は息子の下宿へ行き、帰る日まで一切電車に乗らず、近所のスーパーに買い物に行き、息子がリモートで仕事に入ると近くの図書館にひたすら引き籠るという生活を続けた。それ以外はご飯を作ったり掃除をしたりハウスキーパに徹した。

息子は今の職場にやり甲斐を無くしていた。仕事が忙しくても成果を公平に認め、それに似合った対価があればまだしも成果を上げているにも拘らず難癖をつけ評価が得られないことに不条理さ感じていたのだ。「悩みがあるなら聞くよ。コロナが落ち着いたら一度食事に行こう」と社長に誘われていたのだ。小さな広告代理店なのでいくつかの部署の2つくらい上がすでに社長というピラミッドなのだ。社長は事あるごとに息子を引っ張り出して食べに連れて行ってくれていた。コロナになってからはそれも無くなった。人はやはり褒めてもらったり、認めてもらったりすると自信がつき、次の仕事の向上心へと繋がるのだ。逆に怒鳴り続けられると気持ちが萎えて言われた最小限のことしかしなくなる。今の私がそうだ。夫に不条理に怒鳴られ続けると、「どの道怒鳴られるのであれば手を引こう」となるのだ。元々軟弱な息子は上司と反りが合わなかったようだが、それだけでなく息子の部署は次々と退社していき10人ほどいた部署に残るは息子を含めて2人になっていた。これはもはや利己主義退社では済まない。しかし親がとやかく言う歳でもない。自分の道は己で決めよ。言わずとも息子は勝手に転活を進めていた。しかし幾つエントリーしてもことごとく落とされ面接までも辿り着けずストレスはピークだったようだ。食は極端に減り、夕飯も少ししか食べなかった。そんな日が続き、いよいよ明日帰るといった夜。息子の仕事の邪魔にならぬようお風呂に入り出てきた時、「これ見て」と突き出した携帯画面に内定の案内のメールがあった。「やったね~。おめでとう~。」そういうと涙が溢れて止まらなくなった。人には言えない苦労をしたんだな。よく頑張ったよ。そう思うと胸が締め付けられる思いになった。

そんなわけでコロナ禍の中、突然の引っ越しとなりました。今度は随分近くなったので安心。以前熱を出して苦しんでいた時、声を掛けてあげるしかできなくてもどかしかった。そんな中遠方で一人暮らしをしていた息子の具合が悪くなり救急車を呼んだのだが、ちゃんと返事もするし出動する必要がないと判断され、その後部屋で死んでしまったという事件があった。心配性の私はそれが気になって、熱を出すと大丈夫かと不安になった。娘の下宿は車で1時間ほどのところなのでご飯を作って何度か走ったが、息子のところはそうはいかない。ましてやコロナ禍の今は不安に輪をかけ、テレビ画面に映し出されるコロナ患者さんの苦しむ様子を見ると息子の顔がちらついてしまうのだ。それがこれからは安心。いつ何時でも駆けつけることができる。

息子にしたらいつ何時でも駆けつけてくる母親は…鬱陶しいかもしれない。



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 本日雨天なり

 小雨くらいなら風情があって良いかもしれないけれど、横なぶりの雨は頂けない。高齢の母がゴミ出しをしたり、買い物に出かけてこけたら一大事である。「どこも出ないでね。欲しいものがあったら買っていくから、何もしないでね」と念を押す。「あなたに迷惑かけないようにと思って…」とあれこれ動くのだけれど、母は本当に元気である。入れ歯もないし、髪の毛もフサフサで、黒い毛も生えている。歩くのにおぼつかないところがあるけれど、頭もしっかりしていて介護は不要なのだ。寝たきりや痴呆になって俳諧でもされたら放っておけないし大変だったともう。どこかに用事があるとき車で送迎をするくらいなんともない。小さい頃祖母が「お母さんは足が速かったのよ。学年トップで帰ってきたのよ。」と話してくれていた。女学校の頃は弓道部に所属し、のちに薬剤師になり白衣を着て凛と試験管を振っていたのだ。戦火の中未亡人になる人は多かった。祖父はそんな母を案じ、女が一人でも生きていけるようにと手に職を持つよう勧めたらしい。母は理系が好きだったので薬剤師なると決めたそうだ。私はというと理系は不得手。だから文系が得意と言うわけでもなく、勉強そのものが苦手。学生時代は惨憺たるものだった。高校の時も面談のたび母を悲しませていた。「このままだと進学は無理ですよ」と言われ浪人の末三流大学に進学した。その時教育実習で母校に戻り「進学は無理ですよ」と言った先生に「お前が戻って来たか…」と眉をひそめられた。確かに私はついている。免許と言えば誰でも持っている普通自動車と、取得希望すれば貰えた教員免許。全ての教科が苦手だったのに本を読むことだけが好きで、国語教師と日本語教師ができた。この二つの免許はフル稼働して離婚後も私を助けてくれた。国文法は苦手だったが日本語文法をやるうちテクニックを身に着けて国文法や古典の醍醐味も知った。

 そんなわけで理系の母に対して文系の私は小さくなるのです。理系の母は細かいことを精密に仕上げるのが得意。その為趣味が多く、木彫り、アートフラワー、パッチワーク、洋裁など時間を掛けて完璧に仕上げる。文系の私はノリだけが良く、取っ掛かりは良いけれど長続きしない。時間を掛けて仕上げる作品は途中で挫折。結果すぐできるものでなくてはいけない。パッチワークなんかとんでもない。裁縫もミシンがまっすぐ縫えないのでOUT!でもノリがいいので子どもが小学生の時、ハロウィンの仮装で魔法使いの衣装を仕上げた。ミシン目はガタガタでもアイディアは浮かぶのであれこれとつなぎ合わせてそれなりの衣装になり、ママ友から羨望の眼差しを浴びた。あ~近くでじっくり見ないでね…と言う注意書きと共に。

 まじめで精密な母はいい加減で雑だがノリの良い娘と、今日は雨の中病院に出かけるのだった。




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 先日図書館から予約本が入りましたとの連絡がきたので、早速行ってみた。息子のところへ行く道中読もうと思っていたのだ。それは内館牧子の「必要のない人」の大活字本シリーズだった。まぁ~問題ないだろうと思っていたのだが、渡されてびっくり。本当に字がデカい!中学の教科書くらいデカい!ハードカバーでなかったのが救いだ。「これでハードカバーで、挿絵なんかあったら絵本ジャン()」と娘に笑われた。早々に返却も考えたが読んでみると…とても楽なのだ。そういえば友だちが見せてくれたラインの字、めちゃくちゃ大きかった。「『ママはこのくらいが良いよ』と子どもが設定してくれて…」と話していた。友だちのラインは一番大きな字にしているため前後の文が把握できない。これが難点だが、読み易かった。

 そういうわけでこの本は短編集でサクサクいけた。道中で読むからやめておこうと思いつつ、もう1つだけもう1つだけ…と読みだしたら止まらなくなった。遠足のお菓子を買ってきてちょっとだけ、ちょっとだけ…と食べて、当日持って行くおやつが無くなるという様に行く前に読み切ってしまいそうだ。タイトルから必要とされなくなった老人の生きざまかと思いきや、中年男女の

生きる葛藤が描かれていた。昔は恋や結婚を戸惑う20.30代のトレンディードラマに夢中だった。しかしその域を超えると今度は40代の不倫を交えたドラマに嵌ったこともあった。それを超えていくとどのドラマも物足りなく思えて見なくなった。そんな中この本は主人公の歳を重ねる不安と葛藤に凄く共感して、グイグイ読めてしまうのだ。4050代なんて「このままでいいの???」と悩んだ。子どもが学校に行きだして自由な時間が増え、漠然とした日々の中、怠惰な生活を送り、バカになっていきそうな虚無感を抱いていた。近所のママ友との噂話や嫁姑の愚痴に相槌を打つのも飽きてきた。そんな話に時間を費やした後は虚しさだけが残った。その頃広報誌に載っていた「日本語教師養成講座」に参加し、日本語教室で教鞭をとることになった。それがあったので離婚した後高校で国語教師をし、子どもたちを育てることができたのだ。国語教員資格はもちろん大学時代に取得したのだが、それだけでは教壇に立てなかったと思う。あの頃は多忙な毎日だったけれど、充実していたなぁ。子どもと母親と4人で暮らしていたあのマンションを見ると「私って頑張ってたじゃん!」って涙が出そうな熱い気持ちになるのだ。人は幾つになってもどんな状況下に置かれてもアオハルがあるんだよね。そしてその時を懸命に生きると後から懐かしい思い出となって糧となるんだな。





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子どもたちにご飯を作った。大人になった子どもたちには似合わないかもしれないがメニューはハンバーグとポテトとサラダと好評だったキャロットグラッセ。残り物のカレーに野菜を足してブイヨンでのばしスープにした。なんだかお子様ランチになったけれど「美味しい~」と言って残さず平らげてくれた。夫はあ~だこ~だと文句をつける。それに比べて子どもたちは「美味しい~」と言って食べてくれるからまた頑張ろう!とか、今度は何を作ろうかと張り切るのだ。義長男も毎回「美味しい~」と言って平らげてくれる。平均して私の料理はそんなずぶ垂れではないはず。それでも「美味しくない」と評される方にはそれなりに作る。「美味しい」と称賛してくださる人にはもっと張り切って作るだけ。

お腹がいっぱいになった子どもたちと母とテレビを見たりゲームをしたりして寛いだ。いつまでも小さいと達観していた気がする子どもたちも知らないところで大人になっていたんだな。母のことがいつの間にか小さく見えた様に、子どもたちも私を追い抜いて小さく見えているのかもしれない。

「台風が来るの早くなったね…。昔は9月になってからだったのにね…。」天気予報を見ながら母がそう言った。また今日も暑くなるのかな…。

翌日風と雨の中、子どもたちは東へ西へと帰って行った。





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