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 東京で頑張っている実息子が仕事で帰ってきた。1泊か2泊ですぐ戻るそうだが久しぶりの帰省だ。ひげを生やして仕事でげっそりして、ワンちゃんにも人見知りされてちょっと可哀想である。仕事を終えて久しぶりの夕飯にリラックスしたようだ。夕飯はとんかつとサラダ、それとキャロットグラッセ。

「あ、なんか幼稚園の時に食べた気がする…」

お弁当に入れたっけ?いつもなら野菜を残すのに食べるのも精一杯なのか好き嫌いが少なくなった。一人暮らしさせるのも大事なことかもしれない。生きるための公共料金だの家賃だの。収入に合わせてどこを削るかとかやはり大事。親バカで一人暮らしさせる時、かなり不安で大丈夫かな…と心配した。引越しの手伝いをして帰るとき、寂しそうに部屋にいる息子を見てたまらなくなり帰り道一人泣いてしまった。小さい頃から甘えん坊だった実息子は私から離れなかった。小1の参観日に行くと廊下の向こうから「ママ~~~~」と走ってきて抱きついた。「男の子は高学年くらいになったら近づかないし口もきいてくれなくなるよ」とのママ友の助言に反し、長いこと相手をしてくれた。美大に行っていたころ日本アニメーションが外国の映画賞を受賞したというニュースがありバイクに二人乗りしてレイトショーを観に行ったことがあった。観た時はそうでもなかったのに、後になってからジワジワと面白く感じる不思議な映画で今でも時々「あれは面白かったね」と話している。成人してからも時々一緒に映画を観に行っていた。あまり過保護すぎてマザコンになったら困るので適度な距離を保っていたつもりだったが、東京に出す時こっちが子離れしていなかったんだと気づかされた。

仕事で色々悩んでいた息子だったが、元気そうにご飯を食べる姿を見ていると、まぁ頑張って乗り切ってくれるだろうと思えた。親はこうやってご飯を作るしかないかも。

さて今日は実娘がやって来る。10月の結婚式に向けて打ち合わせがあるので、そのついでに寄るとのこと。子どもが6人いるとあれやこれやで大忙し。年末には義長男に赤ちゃんができるから益々家族が増える。めだかの家族どころではございません()。しかし、こうやってみんなが出たり入ったりすることが、幸せなのだと感じる。





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「ねぇ、めだか持ってきてん」

義長男君が嬉しそうに見せてくれたのは、めだかの卵と孵化したばかりのめだかの赤ちゃん

「おぉ~~~~泳いでる!かわいい~~~~!ちゃんと目がついてる~~~~!」

「でしょ」

赤ちゃんはなんでもかわいい。35㎜の体にちゃんと目を付けて泳いでいる。一寸の虫にも五分の魂。いや一寸のめだかにもかな()。この間はバイク置場の近くの蝉が今生まれようと脱皮していた。生まれ来る命は尊いな。動物でも人間でも、めだかも然り。小学校のころカタツムリの勉強をして、そのままカタツムリを貰って帰った。家で世話をしていたら卵から赤ちゃんが生まれ、虫かごから脱出し、次見たらどこかに行ってしまった。透明の殻でとても小さい赤ちゃんカタツムリは生まれてすぐに冒険に旅立った。どこかで潰れていなければいいんだけど。赤ちゃんがこんなにかわいいのは、一人で生きていけないからだとビートたけしが言っていたことを思い出す。一人で生きていけないから手を掛けたいくらいかわいいのだと。私も子どもたちが生まれた時、本当に大変で八つ当たりしたくなる時もあったけれど、顔を見ると「まぁ~~~仕方ない」と心が和んでいた。「今日やろう」と思っていたことは半分くらいしかできなくて、はじめはイライラしたけれど「今日できたところまでが、今日の仕事」と切り替えて気が楽になった。ママ友に教えてもらった「良いおっぱい、悪いおっぱい」という映画の中で「育児で一番大事なのは、殺さないこと」というセリフがある。そうなのだ。あれもこれもと思い詰めるより元気に生きさせればそれでOKと思った。もちろん赤ちゃんで手の掛かる頃を指すのだけどね。物心つき始めたら最小限のしつけは必要。それを踏まえての第一段階。それに比べたらこのめだかちゃんたちは唯々癒してくれるだけ。

めだかの赤ちゃんの横では、義息子からもらった鉢の花が咲いていた。暑いコロナの夏も、もうすぐ下り坂に入るだろう。





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 子どものころ、ミンミン蝉の声で夏休みが始まりいつしかツクツクボウシに変わり、コオロギが泣き出すと、残った宿題の山を嘆きながら追い込みに入る…といったパターンが続いていた。それが身に沁みついてしまったのか、いまでもツクツクボウシからコオロギの声に変わると、何かしら焦ってしまう。還暦を迎えた今でもその時期には焦るのだ。時間がない時間がない…片づけをしていると昔の手紙なんかが出てきて手が止まるのは常。その手紙は田舎の納戸から見つかったらしい祖父の学生時代の手紙だった。明治のころで祖父は広島の実家を次いで住職になった。大学を卒業してアメリカに留学し(当時は珍しかった)帰国してサラリーマンをしながら住職をしていた。お寺だけでは十分な収入にならなかったためサラリーマンをしていたわけだがその後社長になって、これからというとき癌でなくなったそうだ。母に監修を依頼すればきっと「ちがう!」と手直しが入るだろうけれど、ざっくり言うとこんな感じです。その祖父の手紙は草書の崩し字で解読できないくらい複雑だった。母とわかるところから読み、あとは推察しながらつなぎ合わせてみると、学資の工面依頼だった。当時の学生も今の学生と同じなんだな。今だと電話やラインで催促をするのだろうけれど祖父の時代は手紙だったのでいきなり本題に入って「お金を送って」とは言い辛かったのか、まずは元気で頑張っている。学友の誘いを断り勉学に勤しんでいる…などど綴り「送ってくれなきゃ退学するしかない」との脅しを加えながら催促状は終わっていた。もう一通の手紙には無事届いたお礼と頑張った結果トップの成績を収めた結果報告が解読不可能な草書で綴られていた。かつて宮沢賢治記念館で何度も手を加えられた原稿が展示されていた。消された前の文章はこうだったんだ。どこが気に入らなくて書き直したのかわからないが、拘って言葉を書き換えておられた。そうやってなぶり書きされた原稿から先生の鼓動が伝わってくる。確かにそこに存在しペンを持って書かれていたという証がある。こうやってPCのキーボードを叩いて言葉を選ぶ私は、祖父から見ると安っぽく見えるかな。いやいやおじいちゃんだったら「時代だね~~~~」って覗き込んだかもしれないな。

 またまた片付けが脱線して今日が終わってしまった。あ~~~~ツクツクボウシとコオロギが鳴くよ~~~。幾つになっても時間に追われて日が暮れる。





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 先日義長男君とそのお嫁さんと主人と4人で、お嫁さんの知り合いのおでん屋さんへ行った。全てカウンター席になっていて、奥には「3匹のおっさん」擬きの常連のおじさん方が陣取って機嫌よく飲んでいた。店の中にはカツオ出汁のいい香りが漂っていた。メニューはおでん。そのおでんを使ったポテトサラダとかおでんの出汁を使ったご飯。おでんから派生する料理が色々と揃っていて、あれもこれもと注文したくなる。というか、注文した。不思議なもので誰かが注文しているのを見ると「あれ、食べたい」と卑しく思ってしまう。それでこれもあれもと胃袋の許容範囲を超えて食べ過ぎになってしまうのだ。目の前でグツグツと美味しそうに煮詰まっていくすじ肉。その横のお風呂に大根と卵がのんびりと浸かっている。その横に新参者の巾着。これがただの巾着でなくネギがたっぷり入って山椒が効いた一品である。その出汁で炊いたご飯が装い新たに寿司に変身。お醤油でなく塩で食べるのが通!緊急事態宣言前からノンアルビールが好きな私は泡の出る麦茶を飲みながらおでんに囲まれ舌鼓を打った!

「いよ~~~~~~あっぱれ!」

そこへお嫁さんのお母さんと兄弟が、主人と私に会いにやって来た。本当に仲の良い家族なのだ。娘が嫁いだ家も本当に仲良し家族で娘もそのメンバーになりたいと望んで決めたくらいだ。私も夫の母や子どもたちとも仲良しだし、近くに住むおばさんにもかわいがってもらっている。嫁姑の犬猿関係は昔の話だね。それだけは感謝している。コロナの影響で結婚式は挙げられなかった義長男だが、年末には家族が増えるのだ。娘を生んだ時インディアンの教えが流行ったな。

 

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします

敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います

ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります

ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります 

心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります

はげましを受けて育った子は自信を持ちます

ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります

公明正大な中で育った子は正義心を持ちます

思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます

人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします

仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます

 

凄く感銘を受けたのを覚えている。トイレや部屋に貼ってよく見ていた。息子はこの「ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります」って部分に固執し過ぎて怒られると凹んでしまうようになった。「僕は褒めて延びるタイプ」というくらいだから、この教えは偏らず万遍なく伝えなくてはダメかもしれないな。お腹も話も満足した日だった。





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 母は高齢で近所に住んでいる。93にしてはかなり元気な方で介護認定を貰おうと何度か市に依頼したが一人で何でもできるのでダメだった。さすがに歩くときはシルバーカーを押さなければいけないし握力もなくなった。でも、歯は全部自前。元薬剤師だったので薬の知識はまだまだ健在だ。昔はよく怒られていたがいつしか怒られなくなった。背丈も追い抜いて、歩くテンポも次第に遅くなり、親が小さく見える瞬間だ。それでも、そこに居て話を聞いてくれるだけで安心する存在だ。聞いてくれるだけで良いのだが本当によくしゃべる。そして何度も何度も昔あった話をしたりする。「小さい時はいとこの○○ちゃんと遊んだの。」とか「薬専時代はね…」とか。高齢者あるある。昔の話をよくする~。そんな元気な母も歳には勝てず、幾度となく入院もした。ベットに横たわる母は本当に小さく見える。毎日着替えを持って行ったり、必要なものを届けたりすると「待ってました!」と言わんばかりに目を輝かせて出迎えてくれる。15年ほど前の話だが、母がメニエール病と診断され入院した。その時はまだ再婚しておらず、子どもたちも中学生と高校生だった。離婚して母と3人で暮らしていたころの話である。

「さ、明日から手分けして家事をしてね」

普段何も手伝わない子どもたちも「あなたが頼りだよ!」と信頼すると結構やってくれるのだ。仕事から戻ると洗濯物は取り入れて、ご飯は炊けている。後おかずを作ったり、帰りに買ってきた総菜に手を加えたりして夕飯は完璧。朝も私が先に出て後から出る子どもたちは戸締りをして出てくれる。そういうわけで家は完璧だが問題は母だった。入院しいる間に他の検査も…ということで見つかったのが大腸癌だった。もうすぐ退院というときに再び別の病院に転院して、手術することになった。その時は親近者の癌ということでかなり焦った。後にその経験が功を奏し癌宣告されても動じなかったという話へ繋がるのだが、その時は子どもたちもみんなショックだった。おばあちゃんが死んだらどうしよう…という悪いことが頭をよぎり泣いたこともあった。

 母の手術は無事済んだ。お医者様の説明で切り取られた大腸を見て唖然。「これが癌です」と示されたところは1cmほどの小さいできもの。それを囲んで30cm四方を念のため切ったので再発はほぼないでしょう。とのことだった。癌って…こんなもんなんだ…。病室に戻るとベットに座って母が涙目で訴えてきた。

「看護婦さんがね、ほかの患者さんよりお母さんに優しいの。きっと病状が悪いんだわ…。」

「わかったわかった、冷たくしてって言っておくわ」

また別の日には

「先生がわざわざカーテン開けて『大丈夫ですか。』って…。しかも執刀医の先生と別の先生も…。きっとまたなんか悪いものが見つかって退院が延びるんだわ…。」

と言ってしくしく泣きだす始末。きっと入院生活が長引いてストレスが溜まったんだ。とりあえず1回は退院させなきゃ精神的にもたんわい。私はその足で先生に相談しに行った。

「あ~お母さん大丈夫ですよ。いつ退院しますか?」

それから間もなく私の休みを利用して足早に退院したのは言うまでもない。

私がいなかったら何もできなくなってしまった母。本当に小さなガラス人形の様に些細なことで傷ついたり欠けたり壊れたりしちゃうようになったんだな。昔は怖かったのに…。今もこの炎天下の中買い物に行こうとするので、やめてくれ~と言っている。あなたはガラス人形だから動かれると怖いんだよ!






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